西泠印社 -1

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 西泠印杜というのは、清朝末期、中国杭州で結成された篆刻や金石・書画の研究を目的とする芸術家の団体です。西湖の北隅の孤山に、古く宋代以来の多くの由緒ある堂閣やその遺趾があります。数峰閣もその一つで、この地域の先覚たちがよくここに参集して、金石文字や篆刻の研究や鑑賞の雅会を催したといいます。光緒30年(1904)、杭州の金石家丁仁葉銘呉隠の4名は、これら先賢の遺業を継いで、この地に篆刻や金石、書画愛好者のメッカ建設を思い立ちました。数峰閣西方の土地数弓を購入したのがその手始めでした。翌光緒31年、印社最初の建物の仰賢亭が完成しました。以後約10年間に、石交亭、山川雨露図書室、心心亭、寶印山房といった印社の主要な建物が次々と建てられました。また、印泉とか小盤谷など、園林を飾る景勝も整備されました。
 印社が正式に成立したのは民国2年(1913)です。発起以来10年にわたる同人の苦心経営の結果、金石家参集の場所として最適の環境や建築が整ったので、社名を「西泠印社」と定め、立社の挨拶文と社約を作って同志を募ることになりました。西泠は孤山附近の地名です。また、ここに集るのが印や篆刻に縁の深い人たちなので、これに印字を加え、西泠印社という名にしたといいます。
 呉昌碩が推されて社長になったのは1913年ですが、この年に題襟館(隠閑楼)が完成しました。題襟館は元来、呉昌碩や呉隠等の書画篆刻家が印社創立以前から組織していた上海書画会々員会合研修の場所で、もとの四馬路三山会館東端にあったといいます。また、その前年に呉昌碩の西泠印社記が完成しています。

 拱門(正門)。題字は沙孟海です。この門は何度も建替えられ、以前は呉昌碩の書でした。現存は、文革後の再建です。また、創立当初は北側の裏湖に望んだ門が主でした。

 竹閣。正門を入って左側、蓮泉の向こうにあります。
竹閣内の篆刻作品
 柏堂。正門を入って左正面にあります。印社でも最も由緒ある建物で、創建は宋代に遡ります。清の光緒2年(1876)に再建されました。堂内の額は愈曲園の書です。正面額は呉昌碩、聯は高豊と沙孟海です。創建当時、堂の傍らに柏樹があったことから命名されました。

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